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真言宗豊山派 泉性院 福島市宮代字北口23
「政宗駒つなぎの銀杏」
アクセス 阿武隈急行「福島学院前」駅下車 徒歩約15分 時刻表 阿武隈急行
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銀杏の根元にある案内板には次のように書かれています。
政宗駒つなぎの銀杏
慶長戌年(1601年)4月26日関ヶ原のいくさ後、伊達政宗は1万5千の大軍を率い、かって祖父の地であった
福島城(現在福島県庁)をうかがった。
茂庭、屋代、片倉の武将らを先陣とする伊達勢は、
まず、「瀬上宮代」の戦闘で、会津上杉方の小田安芸ら
を破る。伊達勢は前進して信夫山の中腹に陣を構えた。
前線の兵は、現在の陣場町まで進攻した。
これに対し、梁川城を出撃した会津上杉方須田長義隊は
伊達軍の荷駄多数を奪う。伊達勢は後方が不安になった。
そこへ上杉景勝の福島城代をしていた本庄繁長の軍勢が
打って出て、阿武隈川の支流、
松川付近で猛攻を加えた。その時正宗はこの銀杏の樹に
馬をつなぎ陣を構えて作戦を練ったところから
「政宗駒つなぎの銀杏」と呼ばれるようになったと
言い伝えられている。
樹齢については定かでないが、天文24年(1555年)5月の
古文書に載っているから430年以上たっていることは
確かである。
昭和62年3月吉日 泉性院
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